昨日「Wave2010華波の会」日本橋三越展が終わりました。
毎年この展示会は一年の進行を占う貴重な機会です。
三越美術部の方からも伺いましたが、画廊で行う事とは違う「一般の方」が多く来場され
ご意見を賜れれる機会が「デパートで展示する」と言う意味を持つとの見識。
特に今年は実験的に自転車以外の絵を展示することもしました。
(画廊では何回か行っています)
反応は思っていたより上々?
toraニャンを描いてみました。
この前を通ると笑う方が多かった
色々な視点からのご意見は「成る程・・・」と作家が気付かない点、また「そう捉えるか?」と私自身の狙いとはかけ離れる意見など、実に様々。
今回の実験的な手法も賛否両論で「さてどう進めるか?」
現在の制作にも面白い影響を与えて行くと思います。
あと自分でも感じた「ギャラリートーク」での一体感。
他の出品者の方々を見ても「聞く側」の反応をよく見ているなぁ~と感じました。
この様な機会を多く頂いている関係、話すネタにも困らなくなっています。
(多分尺が長ければ幾らでも喋れるでしょう)
日々の研鑽(作品以外でも)が自分が思っているより「作家」らしくなっている。
努力は裏切らないな・・・
そんな思いにも駈られる、一度自分を見直す良い機会にもなりました。
さて今年度も華波の会は8月3日より四国は高松三越に巡回します。
今年は私も高松に足を運べるよう、現在スケジュールを調整しています。
自転車にて取材を兼ねてますので、面白い事例が在りましたら、こちらにもアップします。
まったく制作三昧。
(昨今雨で自転車も乗れないのは辛い)
朝起きて、まず絵のことだけ考える時間は「貴重」の一言。
「気持ちを切らさない」
日々の流れが制作を中心に回っていると、取っかかりも早い。
これは描くこと以外考えなくて良いからだ。
(日銭を稼ぐだけの行為を勧めない先生の考えが分かる日々)
それでも間々には一息入れなくては行き詰まる。
制作→う~ん→コーヒー→制作・・・→読書(10分~20分)→制作
こんなサイクルで絵と向き合っているが、余り集中しすぎると「周りが見えない」
また面白いように筆が進む事もあるが、大半は自問自答。
「これで良いのか?」
一日5回以上(つまり休憩中)常に画面の前で問うばかり・・・・
その中で「本当に絵を描くこと」を問う瞬間。
そんな時に必ず目を通す「座右の書」があります。
(ホントはあんまり紹介したくないのですが・・・)
千住博さんの 絵を描く悦び
絵描きなら必ず必読したい本書。
特に学生なら一度はぶつかる「壁」に対して答えを引き出す「導き手」になると思います。
(正直巷の下手な教師より役に立ちます)
私の机の上にも幾つか書物を置いていますが、この本だけは常に卓上に鎮座してます。
制作に困った時
「なぜ此を描くのか?」
「この行為に意味は在るのか?」
そんな迷走の時には必ず一度は目を通すと「成る程」となる。
(勿論「描く」と言う現状に身を置かなくては意味なし)
読み解くだけの「作家の力」も問われるが「作り手」なら共有する点は多々あります。
興味の在る方は一読の価値有り。
今はまだ力不足ですが、願わくば千住先生と本書を片手に語りたいものです。
(感謝の意味も込めて)
今年も日本橋三越で開催される「華波の会(はなのかい)」
今年度は7月21日(水)から27日(火)までとなっています。
開場は10時から19時までになっています。(最終日は16時閉場)
毎年この展示は面白い出会いが沢山あって、作家本人も楽しみな展示です。
お近くにお寄りの際は是非ご高覧頂ければ幸いです。
24日(土)14時からは恒例のギャラリートークも行われます。
(勿論私も参加します)
なかなか作家本人の意見を聞く機会も少ないと思います。
興味の在る方はこちらも足を運んで頂ければ幸いです。
私(井上越道)は7月23日(金)の15時頃まで受付。
24日は受付とギャラリートークの為、19時まで会場にいます。
お時間の合う方は是非この機会に。
●今回の作品について
何故か本当に素直に画面に向かえました。
その感覚は今後の糧、また現在の制作にも多きに影響しています。
「やはり絵を描くことは面白い」
私自身が改めて感じる作品になっています。
華波の会はその後「高松三越」へと巡回します。
高松三越の会期は8月3日(火)から9日(月)まで。
四国取材も含め、7日か8日に私も来場を予定しています。
大河ドラマに沸く四国。
こちらも夏の旅行の際にお立ち寄り頂ければ幸いです。
皆さんは下書きをする時に何を使いますか?
鉛筆?ペン?マーカー?それとも筆ですか?
私は色々と試して、現在は鉛筆が主です。
鉛筆の何が良いのかは各自色々とあると思いますが、やはり手軽さでしょうか?
私は色々な表情を出すことが簡単なことを挙げますが、それも人それぞれ。
実は長年鉛筆は嫌いな道具の一つでした。
鉛筆=予備校を連想させ「強制的に描かされている」嫌な思い出が滲み出ます。
だからなのか、20代前半までは鉛筆を使わない時期がありました。
それでも現在使っている鉛筆は「STABILO(スタビロ)8000」
鉛筆も色々(浮気して)使ってきましたが、一番手に合うのがスタビロでした。
コンテの様な柔らかさと、其れとは違う芯のある感じ。
これが私の感じた「スタビロ8000」の鉛筆の評価です。
個人的にはスタビロが他の鉛筆に比べて一番柔らかい感じがします(?)
逆に堅いと感じたのが緑の「ファーバーカステル」(ロゴが一番格好いい)
ファーバーとスタビロの中間が青の「ステッドラー」と感じました。
(予備校では一番御世話になりました)
あとスタビロの塗装が「赤」と言うのもお気に入りの理由の一つ。
赤い鉛筆を握ると「さてやるかな・・・」と言う気分になるのも不思議なものです。
しかし困ったことに「スタビロ8000」が廃盤になって、グラファイト8008が後継になっていてビックリ!!
(まぁ絵の具などが廃色になる等よくある話)
しかもグラファイト8008、塗装の赤も違う気が・・・使ってみた感じも何か面白くない。
こんな事なら8000番を「大人買い」しておけば良かった・・・
さて困ったもんです。
この少なくなった最後の鉛筆を使い切った後、何を時期主戦力に選定するか?
無難なのはステッドラーなんでしょうが・・・
(ステッドラーは本当に良く出来ている鉛筆なんですが・・・)
こればかりは色々試して見ないことには分かりませんが、人間関係と同じく「肌に合う」と言う存在に巡り会う事は希有なものです。
鉛筆削りは小学校1年から使ってるもの。
肌に合う道具は本当に大切使っています。
今月発売(20日)の「月刊美術6月号」に東京藝術大学デザイン科・中島千波研究室の特集が組まれています。
私も1/2ページですが掲載されています。
まぁ興味のある方は本屋さんで覗いてみてください。
しかし改めて見てみると、本当にこの研究室は面白い人が多い。
(作品的にと言う意味で)
掲載されている座談会にもあるが「一人として同じ画風の人がいない」
普通に考えれば当たり前の事ですが、○○先生のお弟子さん?
何となく似通ってませんか??
あと「これって○○だよね」→「実は違う」
なんて事も良く聞く話
オリジナルを作る。
言葉にしてみれば簡単だが、この事の如何に大変なことか。
正に血反吐を吐き、泥の海をのたうち回る。
私のような若造でも、そんな感情に苛まれる事など「日常茶飯事」
実際生活の為に「一般受けの良い作品」を描くことは否定しませんが、それでは何の為に作家活動をしているのか?
そんな事をしていてもNO,1にはなれない。
(そんなことには興味がないのか?)
ただ観覧者も馬鹿ではない。
事実そう言った絵画は淘汰され始めているのが現状。
そう言った意味では本当に恵まれた環境で制作が出来ていると思う。
中島千波と言う作家は手取り教えはしないが「生き方」で見せてくれる。
これこそ対等の関係。
本当に学ぶ側の姿勢が問われる「教育(おしえそだてる)」なのだと。
この研究室の連中は多分最後まで戦える「作家」
でも最後は私、井上越道が頂点を極める。
その覚悟は23歳に既に出来ている。
後は日々散らばる楽しさを拾い集め、面白く紡ぎ出すのみ。
その結果は取り敢えず7月の展示まで、こうご期待を。