まず当サイトの改造ネタを真似するのはご自由に。
ただこれらの改造、改装が原因で事故等が起こりましても当Blogに一切責任を求めないことを了承したうえで改造して下さい。
改造には危険が伴うこともあるので、改造する場合は自己責任でお願い致します。
はい、警告文は記載しておきました。
さて今回のBD-Frog14インチ化するに当たっての留意点は以下の通り。
①一応現状(12インチ)に戻せる事が前提。
②特殊な工具などを極力使用しない。(素人施工でも行える)
③とにかく不満な点は逐一改善する。(お金・・・には目を瞑る)
まず大事なのがBD-1の様に本当にインチアップ出来るかどうか?
(何分前例がないもので・・・)
スタートから「出来ません」で企画倒れってのは恥ずかしいので確認作業。
ちなみに今回選んだ14インチリム(車輪)は
前輪アラヤ14インチリム(20穴)・ハブはアメリカンクラシック(74mm幅)
後輪ANTの14インチリム(32穴) ・ハブはシマノULTEGRA6600(幅は後で調整)
タイヤは赤松制作のトレンクル強化タイヤと強化チューブ。
(入手方法は和田サイクル)
タイヤの選考で重要視したのは「14インチで丈夫で細いタイヤ」
BD-Frogで不満な点として「太いタイヤ」がありました。
小生基本はロード乗りなもので「ゴロ~」と走るMTBの様なタイヤはイヤだったんです。
(この辺りは好みの問題ですが・・・)
12インチのホイールに付けいたシュワルベの性能は非常に良いのですが、やはりタイヤは
「細い物」
で、トレンクル強化タイヤを選んでいます。
さて前輪は嵌るのか・・・
アウト!!
若干(5mm程)高さが足りません。
どうやらフロントホークの加工の必要があります。
・・・う~~ん、どうするか・・・
後輪はと言いますと
ギリギリ!!
ホント3mm程隙間が空きますが、14インチのタイヤが嵌ります。
(あくまで上記の機材で、と言う訳ですが)
取り敢えずリア(後ろ)はこのままで、フロント(前)をどうにかしないと14インチは嵌りません。
フロントホークをどうするか?
答えは意外な所から見つけて来ました。
BD-1と言う折りたたみ自転車の傑作がドイツから発表されたのが1996年。
当時学生だったマーカス・リーズとハイコ・ミュラーが、この折りたたみ自転車の傑作を世に送り出した事が、同じ学生だった小生にはどれだけ驚きだったか。
日本で評価されるには時間がかかったが、ドイツのこだわりは日本人の心を捉えていった。
この辺りは物作りが盛んな国同士のわかり合える所なのだろうか?
BD-1はその性能(剛性・収縮性等)から多くの指示を受けていった。
ただドイツ人が欧州内を意識して作ったものだけに、重量、コンパクト性がいささか問題があったように思う。
(欧州と日本では道路事情が大きく違うため)
リーズ&ミュラー氏もこの辺りは分かっていたのだろう。
2002年に日本向け(?)に開発したコンパクトBD-1、それがBD-Frog。
当時大学院生になった小生が、都内を移動する足に選んだ相棒でした。
内装3段・12インチと言う小さなタイヤながら、キビキビ動き、乱暴に扱っても問題なし。
まさにドイツ仕様を受け継いだ自転車でした。
ただ結果としてBD-Frogは日本人には受け入れられなかった。
(私のような一部マニア以外)
受け入れられない理由は幾つかあったが(値段、重量など)ここは端折ります。
2008年(2007年かな?)をもってR&M社のカタログからは姿を消したBD-Frog。
確かに小生が乗っていて不満な点が幾つかあった。
・・・でBD乗りなら色々と弄るのが宿命
(色々と弄る楽しさがBDを折りたたみ自転車の王者にした理由)
気に入らない所は改造しましょう!と言うこの企画。
いや前置きが長かった。
小生が行う改造は以下のものです。
①BD-Frogのインチアップ化(12インチから14インチへ)
BD-1乗りは18インチから20インチと行っている改造のFrog版。
しかしこれには幾つか問題が・・・
②変速外装化
一様ロードの残りパーツを使っているので8段変速に。
(追々10段にする予定)
③ドロップハンドル化
これは一度やっているので問題なし。
④各パーツのバージョンアップ
と言った所です。
さてこれらをクリアしてBD-Frogは如何に生まれ変わるか。
前途多難ですが自転車マニアの腕の見せ所です。
暫し実家に帰ってました。
(18切符でのんびり電車・・・)
家の猫共は相変わらず小生を他人扱い
まぁ一緒に居なければ忘れられますね。
さて今回帰郷したのは、色々と私事で動いて頂いている方に挨拶周りのため。
お会いした「お偉いさん」は、本来小生みたいな若造が会いたいからと言って
「はい、会いましょう!」
とは行かない方々で、地元での両親の信用の上に、初めてこんな若造の意見にも耳を傾けてくれる訳です。
その様な中、お力になって頂いている関係各所に顔見せができ、人の「縁」はこうして出来ていくのだなぁ~と実感。
その間に実家に置いてある「作品」や「資料」の整理をボチボチ進める。
まぁ小生の荷物もいずれは今の家に移さなくてはならない訳で。
まずは「絵画」は基本良い物(この場合は資料価値の有る物)は保管。
逆に思い入れの少ないもの、資料的に価値のないと判断したものは「焼却」
この判断は作家本人しか出来ないので、準じ進めて行く。
帰郷中に「燃やすくらいなら欲しい」と言う方もいましたが、作った本人が断腸の思いで「必要なし」と破棄した物を飾ってほしくはない訳です。
此処は責任を持って荼毘に伏すほうが良いと小生は考えます。
(後で勿体ないと思うのも一興)
しかし枚数が半端ない数・・・
昔2回ほど焼却しましたが、それでもデッサンは有に100枚は越えているし・・・
そして帰郷中は毎日豪雨・・・
絵画の神様が処分を嫌がっているのか?
そんな思いにも駈られました。
結局雨続きで、挨拶回りと仕分け清掃だけで一週間が過ぎてしまいました。
まぁ、また8月に帰るので荼毘に伏すのはその時にでも。
しかし過去の作品を眺めるのは面白い物です。
小生は此処まで、かなり紆余曲折して作品を作ってきました。
その時々によって試行錯誤が見られ、稚拙ながらも今に繋がる工程が見られる訳です。
(小学生の時の作品にも片鱗があって驚き)
マーブリングにこだわっていた時の作品。(失敗作)
下手すぎて笑ってしまった・・・
五月蠅い蝉の鳴き声を横目に作品を見ながら、人の人生もまた積み重なって行くんだなぁ~と実感できた帰郷でした。
なんや、かんやで最終日以外は会場に顔を出してました。
暑い中、会場に足を運んで頂いた多くの方々のご高覧ありがとうございました。
親族、友人には行きやすい立地なのか?
近しい周りには「画家やってますよ」と宣伝できたのか??
此方も変わらぬご支援ありがとうございました。
毎年この展示会では各方面からのご意見を賜れ、作品をどのようにして行くか?
今回の展示も、今後の方向性を考慮出来る貴重な機会になりました。
これからも「井上越道」と言う作家の展望を期待して頂ければ思います。
さて「華波の会」は7月7日より高松三越に巡回して参ります。
また遠方で興味の有る方は、是非足を運んで見てください。