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『自転車』を主題に日本画制作をする作家Blog
個展から法事、その後も各方面にバタバタしていました。
その今も続いている、雑務の面倒なことは「整理整頓」

今回は「描くだけ」が作家の全てではない・・・と言う側面。
※ホントは描くだけ出来るの最高なんですが(∀`*ゞ)

私の経験から「作画の良い環境」とは、清潔に「整理整頓」されていること。

「何処(どこ)に何があるか」

画材は勿論、ハサミ一つでも、あれこれと探す行為は無性にイライラします。
※この時間の無為なことは・・・絵画制作が滞るのでヽ(`Д´)ノ

作家の「整理整頓」とは絵画は勿論のこと、作品リスト(材質・年代・大きさなど)の更新に始まり・・・・
画材各種の在庫確認と補充、そして整理。
額装等の確認(補修&取り外しなど)と保管場所の整頓。
それに付随して、過去の作品を整理&梱包、そして清掃。
また制作過程の作品資料・・・その整理は・・・もう膨大の一言。(落書きもその一部)
※1~2年使わない(使われない)資料は価値無しと判断=基本的に破棄。


IMG_5630.jpg
梱包した作品の一つ一つが分かる様、この様なラベルも作ります。
・・・一々
「あの作品・・・何処にあったか?」なんてのはヽ(`Д´)ノ
 

これを一人で全て行っているのです。
それを1~2週間で終わらせるなんてのは・・・土台無理な話。
※整理整頓だけしている訳ではないのです=その間も制作していますので(;´∀`)


個展終了後の今回も「何時も様に」『簡易的』に終わらせる予定でした。

・・・しかし

一つ片付けると・・・気になる点が幾つも見えてきます。
※大分おざなりにしていた部分もありますので(∀`*)ゞ
ならば・・・やるなら、、、「徹底的」にやるかヽ( `Д´)ノ
って1から全ての作品を引っ張り出して、全ての資料を1ページから整理する。
その様相はまるで「引っ越し」の前夜。
※4回も紙で手を切りましたよ(´Д⊂ヽ


その中で今回一番「エイヤぁ!!」って思い切ったのが「日本画材(顔料)整理」
「日本画って水墨画じゃないの」ってウン100回聞かれたことは、今回脇に退けます。
こちらを参照に
http://nihonga-style.com/iwaenogu-ni-tsuite.html

「顔料(岩絵具)」を全て瓶詰めする。

まず日本画家の先生は大抵顔料(岩絵具)を「瓶詰め」しています。

では何故そうしていないかったのか?

そう問われれば「瓶一つを買う金があれば顔料(絵具)を買う」ってのが今までの私。
只・・・好い加減「袋詰めの顔料」の色が見難いのが大変面倒と覚悟しました。
(色数も多くなってきていましたので)

IMG_5600.jpg
袋が擦れて色が見難くなる。

 
そこで大変手痛い出費は覚悟で「瓶詰め=絵具瓶購入」を決めました。
※油彩やアクリルの作家はチューブの色を効率良く判断できるのか??床ばらまき???

まず瓶の選定がありますが・・・日本画家の皆様が使われてるが「広口瓶」

img56732261.jpg
良く日本画材屋で見るこれ↑です
 
ただこの「広口瓶(瓶だけ)」
小さい物でも800円から~大なら1,000円以上。
1~2個なら良いですが10個=10,000円~。100色なら・・・200色、300色(((( ;゚д゚))))
それは・・・ちょっと予算が許しませんので(゚д゚;)

今回は
①一個200円以内で
②ガラス素材(硬度の高い素材)
③透明度のよいもの
④開閉が容易いもの


これを念頭に良い物がないか?
夜な夜な調べ物をして(これも時間が取られる)該当する物を調査すると「研究保管材」に辿り着き・・・
最終的に50g~70g程度入る「鉱石保管瓶」を150個ほど注文しました。

IMG_5593.jpg
ちなみに「ガラスは割れるので」と・・・
ポリ素材やアクリル素材の容器も使いましたが、細かい傷が色の識別を悪くします。


IMG_5595.jpg
段々床一面が瓶で埋め尽くされて行きます。
(描く場所が・・・)
 

まぁ150(個=色)もあれば十分・・・って(色数調べず)注文をして届いた研究瓶。
袋から瓶に移し替えて・・・・・・・・・・・・・・・全く足りませんでした(゜д゜)
一体私は何色の日本画岩彩を保有しているのか??
さらに150色追加注文して・・・残り瓶は50色少々。
※配達のお兄さんの怪訝そうな目=ここはラボ(研究所)ではないです(;´Д`)


一つ一つ丁寧に瓶詰めしていくと・・・250色も瓶詰めするだけでも3日かかりました。

IMG_5596.jpg
更にラベルも自作しましたので(;´Д`)

IMG_5597.jpg
天然は赤、新岩素材は青って具合に見やすくデザインしています。
 

これで色彩を見やすく、制作も進む・・・はずなのですが、床一面の「絵具瓶」
今度はこの250色を収める「台座(たな)」の制作の話を少々。
※そのこだわりと苦労は画業その物なので(*´σー`)エヘヘ



(三章からの続き)
 
80枚からは以外にもあれこれ悩んで、一時鉛筆が止まっていましたが・・・
90枚目に描き進めるとページも少なくなり・・・
残りの薄い紙を見て「もう少しで終わりか」と一抹の寂しさも。
 
この頃には余り日本画素材を扱っていないので「色を好きな様に使いたい!!」と。
その欲求を解除したら・・・どの様な絵を描けるか?
私本人が一番面白く思っています。
(また色々悩むんだろう・・・と今既に悩んでます)
 
 
さて100台目を描いた日。
私の研鑽もひとまず終わりました。
・・・って訳ありません(>_<)
本画の制作もありますが、この作画行程(流れ)は切らないようにしようと。
次は200台、その後は500、そして1000台描く!!
 
susuki.jpg
100枚目を描いた時は風が強い日だったのを覚えています。

 
ちなみに「本画に使える下絵」って始めた作画でしたが・・・
その1枚目から80枚目くらいは本画に使えませんΣ(゚д゚;)ドヒャー
 
でも良いのです。
最後の4~5枚を描くために至る「必要な時間」だったと、描いていて実感します。
 
だが私の美学として「努力した」など愚の誇張。
だからこの記載は恥ずかしさばかりです(ノ´∀`*)
 
描きたいから描く。
創りたいから作る
 
私が今年一年、もっとも自分に多く言い聞かせた言葉。
 
「イヤならやめろ!イヤなら描くな!!」
 
そう・・・イヤなら辞めれば良いんです。
描かなくても誰も止めません(´Д⊂ヽ
(世界中から止めてもらえる作家になりたいですね)
 
そうして「俺は世界の井上だぞ!!イヤな訳ないヽ(`Д´#)ノ」って気合い入れて一年描きました。
 
世界繋がりで、最後に「世界の王貞治」
「素振りを1000回しても、全て真剣に振らなければ最後の10回本気で振った方が良い」
100台の自転車を描いていて、常にその言葉が脳裏を横切りました。
※まぁ1000回振れる人が語れる領域なんでしょうね(*´σー`)
 
 
さて今年も残りわずかになりました。
思い返せば、達成できなかった事は多く、牛歩の様に薄い薄い石(意志)を積み重ねた一年。
 
「大器晩成」
 
自身にはそう言い聞かせていますが、自分が大器であることは一切疑ったことは無い一年。
あとは本当に日々描き続け、100と言わず、1,000、10,000の表現を模索して行く所存。
 
 
多くの方に今年一年お世話になりましたが、関係各所の皆様方には健やかな毎日を。
健康で楽しい日々に、私の絵画が清涼の風となりますように精進して参ります。
 
本年は本当に多くの方々に助けられた一年。
(この場も含め最大の感謝をm(_ _)m)
 
来年も井上越道と言う作家にどうぞご期待頂ければ幸いです。

jinnja2012.jpg
年末のお参り&お札納めは済ませました。

 
 
 
(前回二章からの続き)
 
そう言えば途中、なぜ100台描くのか?
そう何度か自分に問う事がありました。
 
それを考えると・・・思い出すのは専門学校の頃と大学の頃の話。
 
 
専門学校で日本画を学んでいた青二才の頃。
とある制作で悩んでいた時、ある先生に「アイデアに悩み進め方に迷った時」にどの様にしたら良いか?
その時に「何を支え(指針)にするか?」
 
そう相談した時
その先生は裸婦(を含む人物制作)を基本にしていましたが
 
俺は「1000体の裸婦を描いた」と。
 
その事がどの様な苦境にあっても「昔あれだけ描いただから・・・」と言う実績(形)。
その筆を動かした実績に対して、今の苦境も対した事はないんだ・・・と思える。
「倒れそうな時でも、そのバックボーン(積層の実績)が今の私を支えているんだ!」と。
正直絵は興味ありませんが、彼の絵を前にして妙に納得してしまいした。
 
それだけ描いて、描きまくって、それでも迷うのだな。
 
それなら今は色々と悩んでも仕方ない・・・
・・・と思いませんでした!その当時は!!
 
その時は2浪して散々デッサン描いたし「俺は天才だから努力必要無し」とか自惚れていました。
そして今、30半で枚数を描けば描くほど・・・このときの事を思い出し、自身の未熟を痛感してます。
(逆に今後の成長も青天井と思っていますがね)
 
 
そして40枚目・・・50枚目(半分)・・・60枚目・・・と
何度描いても納得出来ない・・・辿り付けない苦悩・・・
 
そう言った時に思い出すのが大学時代、教職でのデザインの選択授業。
課題の「置き時計」のデザインの講義。
 
授業は面白く、プロダクトの先生の説明も明快そのもの。
そして課題提出で「なかなか良い出来?」と自信で提出したプロトの「置き時計」
 
此処とこの作りが甘いね。
 
幾つか指摘を受けて「ポイッ」←破棄。
・・・オイ!破棄するなよ!( ゚Д゚)!
返却してくれれば、指摘点だけ直して再提出する予定が・・・
 
仕方なく指摘を受けた点を一から作り直して「再提出」
また更に幾つか指摘され「ポイッ」←破棄。
・・・オイオイ!(# ゚Д゚)!
 
悔しいので・・・繰り返し作り直して「再々提出」
前より良くなったね、でもここの作りが甘いねぇ~「ポイッ」←破棄。
・・・・・・オイオイ!!コラーー!!!
 
確か直して4回目の再提出。
成る程・・・うん、良いね。
・・・でも此処は自分でどう思う?
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・破棄。
 
ふざけるな(# ゚Д゚)ムッ!
 
流石に切れて「どう言うつもりだ」と問いただしたら・・・
デザインの先生は悪びれもなく「もう一回直して受け取る」と。
 
仕方な「単位」欲しくて最後の直しをして提出。
そこで言われたのが「ね、良くなったでしょう、一番初めと比べてどう?」
・・・そう言えば一から繰り返し作り直すことで、作る速度&効率が良くなっていました。
勿論間違った所の創り&精度が良くなり、出来上がったプロトは本人も納得の出来です。
ちょっと狐に騙された感じでした。
 
その後、別件でその先生の研究室を訪ねた時
「あの課題では随分直されたけど手直ししなければどうしてました?」と質問。
そう聞いたら「前と変わらなければ受け取ってたよ」と。
「ただ修正して来たし、良くなると解ったら良くなるまで指導するのが仕事だから」
そして最後に言われたのが
「君は根性はあるね、(デザインの)センスは別として」
その時は思わず笑って(苦笑い)しまいましたが・・・
成る程・・・これが造り出す(精度)ことか・・・と納得。
 
 
繰り返し繰り返し、何度も描き、それでもこの先、何度も何度も悩み、のたうち回る事の連続でしょう。
ただ過去を見ても藻掻いただけ、絶対今以上の絵描きになっている。
そう実感出来ることが、この「100の自転車」に意味を見いだすことが出来るのです。
 

IMG_4474.jpg
高い空を見上げると向上心が刺激されます。
「いつかは世界一の画家」


 
※さて明日は私の誕生日なんで、バタバタしていて更新できるか微妙ですが・・・
最後に100台のまとめなどで年末の挨拶に返させて頂きます。

 

 

(一章からの続き)

更に描き進めていた、ある昼過ぎ。
ラジオ放送でゲストに漫画家の浦沢直樹さん!!
その中での一幕、浦沢さんはアイデア画を描く際「間違った線も消さない」と。
 
「間違った線を消さない」
その理由は色々語っていましたが・・・納得(内容記載しません)
 
実はこれ「他の作家」でも言ってる人がいますが・・・
あの「浦沢直樹」が実践している。
 
「浦沢直樹が実践している」と言う真実。
これが一番大きい。
同じ事を言っても「二番煎じの画家」「描いていない美術教員」が言うのか?
それとも「天才・浦沢直樹」が語るか。
 
全く内容が同じでも・・・説得力が違う。
 
日々凄い作品を作り続け、それを多くの人に見てもらっている。
相手を納得させるなら、この実績=憧れを体現していて欲しい。
端から見て「この様な作家になりたい=体現している」
(このような作り手の何と少ない事か・・・)
実はこう思うこと(ジレンマ)は多いのですが・・・
改めて「絶対一の創り手」「造り続ける最前線に身を置く」その事の大切さ。
 
そして「造り続け評される」環境に居ること。
※創作者として「当たり前」の立場を目指さなければと自戒の意味も含めて記載。
 
さて・・・ここでまた一つ縛り
 
間違ったと思った線を消さない。
 
こうすると初めは「間違いたくない」と言う心理に苛まれました。
(その頃の描いた物は・・・)
しかし描き進めると、よく考えて線を引くようになります。(技量)
更に「不要な線」が少なくなり、より洗練された(ような)構成、作画が出来ます。
(ここはまだ研鑽の必要あり)
 
こうして消しゴムは全く手を着けない状態に。
 

それに平行して、あれこれ気になる事が沢山出てきました。
特に「自転車に乗っている人」
乗っている感じ(量感)などは、自身の身体を通して理解できますが、自分の乗車態勢は描けない。
(大きな鏡でもあれば良いんですけど)
種明かしをするなら「自分=影」が、かなりの情報量になります。
ロードレーサーの態勢などはツール等の映像で確認できますが、一般の方の形態は・・・
 
それから土日のサイクルが増えました。
 
土日はサイクリストが多い。
そのサイクリストを悉に観察する。
以外に○○は違う、○○はこの大きさか、○○は形状が見えない等々。
五感が使う、観察眼が鍛えられる(引き出しが増える)感覚。
更に春になってサイクルに出る時間が増えました。
(これ・・・他の仕事してたらどうなるんだろう)


ennoiru.jpg
毎日描いていると・・・すぐ一杯になります


※さて描いている途中、幾つか疑問に思ったことを三章以降に記載します。
 

 
 
年末の忙しさを「師走」とは良く言ったもので(;´Д`)
私の年末、、、その走者は、、、宛らボルトではないかと?
 
 
さて今年一年を振り返って、一番印象に深かったのは「100台の自転車を描いたこと」
(行為そのものは3月旬の頃・・・だったはず)
 
一体なんで始めたのか(思いつき?)
 
始める切欠・・・それはホントに思い付きだったんです。
それが何時の間にか、、、こんなに嵌るとは・・・
 
100の自転車を描く。
 
それは・・・こんな感じで始まりました。
 
ある昼時、何時もの作画制作。
制作の合間に「作画以外」の仕事をすると制作は滞る。
アイデア(思考)は描き続ける環境に無いと鈍ります。
(鮮度の問題??)
 
作画制作で一番大変なのは「どの様な絵を描くか?」
特に主役である「自転車の構図(形)」を決めるのが・・・ホント難しい。
 
で!!
 
暇な時間の合間に、細かく指定が入った下絵。
「直ぐに本画に描き仰せる」下絵を描く(ストックする)事に。
※余り下絵を溜めても、昔のアイデアは使えない事が多いのでストックはしないのですが。
 
 
さて初めて見ると2~3時間もあれば「それらしい」ものが出来上がります。
この時は「なかなか良いんじゃない?」とか思いました。
しかし10枚も描くと、何処かマンネリ?
(この形態?この構成??)
 
このまま描いても飽き(同じ)ましたので「限定(縛り)」を入れる事に。
 
使う道具は鉛筆だけ(後に情報量の関係で色鉛筆を使う)
紙は気楽なA4、出来るだけ紙面に情報を入れる事。
(これも後で違った大きさ&質感の紙で色々描くことになります)
 
そして一番大切な事は「前の絵と違う事をする」
つまり描き方を変える、構図を変える、表現を変える。
 
こうすれば100通りの自転車表現が出来る訳です。
 
しかし・・・初めて見ると難儀な事が。
20台くらいまでなら色々と引き出しがありますが、それ以降は戻ったような表現に。
(何台か前の絵を見て反省)
私は「何処かで見た表現」とか「毎度同じ表現の絵」しか出来ない連中とは一線を画す。
様々な表現を理解し、その構成は絶対的で無二、視点豊かな作家と自負していましたが・・・
 
この程度なのか・・・と。
 
ちょっと落ち込み、あれこれと考えてしました。
※これも今なら良い勉強でした(4月頃と記憶しています)
 
ここで更に一つ縛りを入れました。
 
無理に数台(枚数)を描かない。
その日に描いて良いのは1台、どんなに調子が良くても2台まで。
そして描きたくない時は描かない。
 
そうした事で、朝リセットされた頭でアトリエに入る。
そこで見た先日描いた絵を見て、昨日気付かない所を見つける。
・・・そう、頭を使う時間(24時間)を本当の意味で「有意義に」使っていない事。
そうして30台位から細かく「あれこれ」変化させる事が出来ました。

(続きは長くなりますので・・・次の二章以降、順次ご期待頂ければと)


6a49f88a.jpeg
始めた頃は・・・こんな桜が舞い散る頃でした
 
 


 
 
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趣味:
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