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『自転車』を主題に日本画制作をする作家Blog
(長文にて秋の夜長に)

少し前になりますが(飲みの席で)同席していた席での一幕。
その「自立する」ことで、上司(?)に弄られている方(部下?)をみて、ふと考える

「絵描きの自立」


横の席では、上司の方が「実家にいること」で自立を妨げているとのご意見。
上から目線で(横から)聞かされながら・・・なんですかね?この違和感。
この(年配の)方が語る「自立」と言う考え(感覚?)聞き流していましたが、どうにも気分が悪い。
※私は年功序列とか先輩後輩なんて「タテの関係」が大嫌い=酒が不味くなる(;´Д`)

一般的(世論的)「自立している」とは・・・

成人している。社会人になっている。(います)
社会的に企業に勤めて、定期的な「月給(サラリー)」を貰っている。(安定?)
親元から離れ(家を借りて)「一人暮らし」をしている。
炊事・洗濯・家事まで「自分で」すべて行なっている。

______________(ここまで経験済み)以下・・・

結婚(家庭)しています。
子供(育児して)がいます。
資産(乗用車&土地&一戸建てなど)があります。
※こう言った事例も「自立」でしょうか?
親の面倒を見ている。(介護をしている)
資産の管理をしている。

・・・
・・・・・
・・・・・・・う~~ん(´ヘ`;)ウーム…

私も(結婚以下は経験がありませんが)こう言ったことが「自立したヽ(*´∀`)ノ 」
・・・と10数年前位までは想像(勘違い)していました。
しかし実際(私自身が経験した上で)成人した時も、一人暮らしをした時も、サラリーを毎月貰っても「全く」と言って『自立した』と実感出来ませんでした。
※寧ろ今の貧乏画家のほうが、よほど自立した充実感があります。


では私的(個人的)に「自立している」と感じた方々。
その全てに共通するのは、日々何かに「挑戦し(試している)続けている人」
その一つ一つの考えや言動には、独立性(自立性)が感じます。
※過去ではなく、今!(進行形で)何かに挑戦している人( ´,_ゝ`)

また、そう言った魅力的に話している方の多くが「独立(起業)しています。
それは「自己(自分の)資本(時間もお金も)を自分の『やりたいこと』に全てを投資している。
※会社勤めは「本当に好きなこと」が出来ないって語っていた方もいましたね。
そして、それらのことに正面から向き合い「リスク(責任)」の全てを自分が背負うこと。(覚悟)
※勤めている方の多くが最小リスク=程度の仕事しか出来ないって意見も=脱サラの方。

この様な自分の好きな生き方(遊びも仕事も)に、全力で挑戦し続ける(現役の方)
そして自分資本の『全て』を背負い、そのリスクも抱えて『楽しんでいる人』
好きなことは好き、嫌なことは嫌っと「誰にでも」言える、そんな芯の通った生き方。
(結局企業に勤めていてはできませんよね( ´,_ゝ`))
これが私(井上越道的)の中での「自立している」生き方なのでは?

・・・と一口飲んで自分に納得。
※上司に叱られまくり、言い返さない若い方を横目に、益々イライラ募る酒になります。

最近は日が沈むのも早くなって・・・飲酒も少なめ

さて(少々長くなりましたが)では「絵描きの自立」とは何か?
※自己資本を投資して「良い絵を描くこと」も「新しことを創作する」ことも、そのリスク(責任)を負うことも、それは全て『当たり前』作家の責務=私はこれらを「自立」と思わない。

私(個人的)が「絵描き(画家)として」最初に自立を感じた(思った)のは・・・


「展示をすること(個展)


「作家として独り立ちできた」
展示をした時、そう思い、それが100%勘違い(恥ずかしい)と感じたのが「展示」

それまでの私は「画家として」個の力の向上のみ「才能」に絶対の確信を見出してきました。
確かに・・・展示に至る「作品制作」は作家本人に委ねられた「全ての責任」です。
しかし実際、展示をするに際し、そこまで導いてくれた諸先生方、両親、親族、友人、関係者多くの方々。
そして画廊関係の方々、その多くの人達の協力の上で『私の』展示が成り立つこと。
逆に考えれば、その一つも欠けると成り立たない。その人の輪の「膨大な尽力(人力=人のちから)」
そう言った多く方の「今まで目にできない力」見ることさえなかった自分の未熟さ、浅さ。

それ実感した時、沢山の人の力を借りないと「自分一人で」自立した作家になれない。
矛盾しているようですが「作家として個人ではできない」ことが『自立』を実感できた。
それを一番よく実感したことが「展示をすること」でした。
(10年ほど前のホントにお恥ずかしい話です(´∀\*))
そして今も展示会をすればするほど・・・その輪が広がり、まだまだ「沢山の方に助けられているなぁ」と想いが募ります。
※これが作家の財産であり、その想いで描き続けることが「自立した」作家の勤めだと思っています。

自転車で2~3時間走れば、もう夕暮の美しい秋の夜長
(サンマと麦ホップに乾杯)

さてはて飲みながら、(年配の)聞きかじった通り一遍の自立なんて「身のない高説」に、不機嫌な顔でもしていたのでしょうヽ( ´ー)ノ
上司の方から「画家の先生からも言ってやって下さいよぉ~」と言われたので・・・

(以下・私)
「自立」なんてのは、親の建てた家に「住む・住まない」より「自分が一番好きなことに挑戦する」ってことが大事じゃない?

って、真っ向から長々と高説賜った『一般的・自立の全否定』「画家の先生」の意見。
※あと親は「あなた」に投資しているだけで、これを他人がどうこう言う話ではない!!とも。

最後に『上司だから何を言ってもいい』
そんな上から目線がどうにも腹ただしい、腹の虫が収まらないので「これみよがしに」

(以下・私)
あと・・・ね、画家は自分が絵描きって生き方を「一番大切」にしているんですよ。
そう言った自分自身の大切なことは何一つも語れないのに(言い返せない人に)相手のことを考えた振りの「他人のことでしか」話ができない。
そんな「自分のない」人が『私は一番腹が立つんです』


って・・・・はぁぁぁ~(>'A`)>イッテシマッタ(お酒が悪いんだぁ)
全く言わなくても良い一言(視線が痛い)を言っても、やはり「言いたいことは誰に対しても言う」
※ここは勤め人や聖職業では「してはいけない」=私は無理。
上下関係なく、お世辞も無ければ、変なシガラミに言動に曲げることが無い、顔色伺いの『上辺の嘘(付き合い)』はない。
そこが「絵描きの私(井上越道)」の自立した生き方です。(真正直なんですよ)
※つくづく・・・私は「絵描き」以外の生き方は無理です=傍若無人の正直者。

台風前に少々乗り込んでもいい季節
・・・ぼちぼち何処かに旅行に行きたい・・・


帰りは少々反省もしつつ・・・そんな「支えたくなる(自立した)絵描き」を目指し、また筆を取ります。

※帰りに兄さんに「スイマセンでした」と何故に?(余計なこと言ってコッチが恐縮)
※あと「半沢直樹みたいでしたね!!」ってのはやめて下さい(´д`)ハズカシイ

随分間を開けてしまいました(;´Д`)

さて9月は諸事情で忙しくしていましたが…

「好きな仕事」をして忙しい。

日々忙しい・・・と言っても自分が好きで選ん「画業」
大体「好きな仕事」をしていて辛いなんて…
逆に思えば、それ以外の仕事は苦渋の日々だったのは・・・重々承知(´Д⊂ヽ
※やはり朝から制作できる時間は至福と言うしかない。

空も秋の薄雲が気持ち良い季節になりました


良く私の従姉妹が「神職が天職」っているのを鑑みて、そう言った感覚が日々満ちている「画業」

こんな日々面白い、自分が自分らしいと思える創作・作家業「天職(天が与えた仕事?)」
はて?逆に・・・私が心から楽しいと思える仕事は『画家』以外にあり得るのか?

「画業」をしない『絵を描いていない(向き合わない)人生』

それは一体どんな人生なのか?
コーヒー片手に制作途中の絵を眺めながら、ふと思考を遊ばせます。
※従順に勤めている方も、一度ならずも考えても面白いものです(;´∀`)

順当に家業を継いで「聖人君子」の聖職者?暴君の私が??無理無理。
自衛隊?人に頭下げることが嫌いな私が?国家に従事して盲目の日々?
では自転車屋の親父?それとも農家?料理人?
はたまた?美大を出ても「描かない(創作しない)」美術系に従事する教員等・・・

どの生き方にも、世論の常識に囚われず、自由気儘、傍若無人に自己顕示する「絵描く」生き方に制約がありますね。
そんな退屈な人生…そこに『生きている!!』意味を見いだせるのだろうか?

でも他人から見た「美術的に」幸せな人生って…こんな感じでしょうか?
(そんなことも描いていて考えますが)
有名美大を出て、美術教員?デザイン事務所?美術関係が無理なら・・・
他の「美術系」依りの堅実な職場に勤め、定期的な『月給』をもらい(´д`)
お見合いでもして、25~26歳で結婚?家庭持ち。
子供も2~3人出来て、乗用車も買い、都内のマンションでも購入?
貯金(貯蓄)も順調、子供に美術教育の熱心な父親をして、たまの家族旅行。
そんな日々を過ごし、迎えた定年退職後の一家団欒。
ふと見た日曜美術館で放送されている作家を見て・・・

「昔、あの画家は父さんの大学の同期だった」なんて自慢する。

そんな「自分が『全く』挑戦しなかった」夢の残骸を語る人生なんて・・・

今、タイピングしているだけで腕が震える。

そんな「自身の夢(理想)に背を向けた」生き方する位なら死んだほう良い。
想像するだけで…こんな「作家で無い人生」考えただけで悪寒が走ります。

そんな夢も追えない(負えない)生き方を幸せなんて言うなら、私は幸せの「欠片」もいらない。
今切望しているのは、眼前の「画面」に全身全霊を賭け、今試せる一つ一つのことに挑戦して、作家として自身の課題を越えた「自分が求めた」最高の絵画を描くこと。
逆にそれ以外のものは『一つも』欲しくもない。

結局のところ、、、子供の頃から憧れ、研鑽し選んだ『天職(自分の生涯の職)』なんてものがあるなら、私には『画業』以外考えられない。

道端に咲く、その彼岸花を見て…
秋の訪れと、残り3ヶ月の間に「何を」「どれだけ」描けるのか?
頭の中は、そんなことで一杯の日々です。


※最後にそんな覚悟で日々望んでいる「画業」の一端を記載します。
かつて知人に「画業を続けるのは地雷原にいるようなもの」と言っていた方がいました。
曰く「30歳を越えて画家を辞めるのも自殺行為、進むも地雷原を進むようなもの」
これは全く…上手いことを言ったものだと、、、膝を叩いて納得します。
(これが分かる人が作家業に従事して本職)

引くも地獄、進むも地獄。
振り返れば、その地雷原の屍(筆を置いた人)の山を見て、まだ「好きで」画業に従事させてもらえる。

ならこの『天職』を120%楽しんで生き残っていくしか無い。
なんと言っても「好きで」仕方ない生き方を『自分で』選んだのだから。
※だから安易に画業なんて創作職をお薦めは出来ません=画家って良いねって意見に対して。

最近書店で目にして読んだのですが…
内容に「当たり前」の事としか思えないのは…
自分が好きな仕事している証拠(^_^;)



次は「作家の自立性」か「金銭の価値」なんか記載できればと思います。


最近は製作中も、バランスボールで股関節強化中。
※自転車のペダリングが効率的になる効果アリ

件の暑さも、朝夕は風があれば「夏なんだ」と思える感覚、それも一興。
さて蝉の鳴き声に「ひぐらし」が無いのが、まだまだ暑い日なんだと思い、何時もの20km走行に。

しかし・・・いつもの河川敷に近づくと「浴衣」姿の方々が(´ヘ`;)
・・・これは嫌な予感が(;´Д`)と。
外出時も浴衣の方々を見かけると「花火大会」があるのか…では16時までに帰宅しよう。
と混み合う前に早期の帰宅を心がけています。

そして鶴見の河川敷・・・神奈川県警の姿に…あぁ~花火大会だぁ(;´Д`)

IMG_5874.jpg
もう丁寧な説明と何度も頭下げられると…

IMG_5874-1.jpg
こちらが申し訳ない気になります。

 

それでも足はペダルを踏みたく、また作品のイメージ固めにも自転車を走らせたい。
いつもの河川敷を離れて走り出すと、そこで思い知る「信号機」の多さ。
少し走って止まり、また少し走り止まる。
クリートを「パチッ」と嵌めても数メートルで「パチッ」と外す。
これが繰り返しでは10メートルダッシュを繰り返している感覚。

横を見ると車のオジサンもストップ&ゴーでお友達走行。
※花火大会で混んでいるのもありますがね(;´Д`)=3
結局面白くなく、イメージが浮かぶ訳もなく…途中で引き返す羽目に(;´Д`)
※帰りも浴衣の方々に何度も足が止まる羽目に( ´Α`)


さて花火の写真?
そんなものはありませんよヽ( ´ー)ノ

えぇ~って「花火」そのモノは大変風情があって好きなんですが・・・
それ以上に私は「人混み」ってのが人の100倍は嫌いなんです。
折角の花火も「酔っぱらいのオッサンの怒声」
「ヤンキーの吹かしタバコ」「子ども達の無秩序な行動」
等など…

風情もへったくりもあったものではないヽ(`Д´#)ノ


花火は、夜空に上がるその美しさの他に、打ち上げの間と音、そして後から漂う硝煙の香り。
これらが一体になって「日本の夏」をイメージさせ、風情ってものを創作させる。

まぁ今の「花火大会」に、これらの風情を求めるのが、どれ位酷なことは重々承知。
広重や若冲の様な江戸の風情で絵を描くことは・・・今の日本では無理ですね。

あとは今描いている絵のイメージに「余計なもの」を加えたくないってのがあります。
夏の花火より「今描いている絵」を描きたい。
ペダルを踏みながら、家路に戻る間・・・全てのことは「絵を描く事」だけ。
「それ以外」全く「何一つ」必要ともしない生き方に笑みすら零れます。
全く・・・根っから絵描きなんだなぁ~と、後ろから聞こえる打ち上げの音を聞きながら「天職」を思い知ります。



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それでも皆さんが晴れて花火が見れることを願っています
※勿論、事故など無いようにね


今週はどうにも暑い「灼熱地獄」の日々が続いています(υ´Д`)
※大雨は何処の国の話と言う位・・・山形の友人達は大丈夫かなぁ?

今年も暑くなるであろう・・・
そんな事は重々承知の上で、今年も作りました「グリーンカーテン(朝顔)」
毎年早めに仕込んでいこう(*´σー`)と思うのですが、気づくと5月にプランター作り。
※ホントは4月中頃からが良いのですが(;´A`)

とかく「土いじり」は楽しいもので、土の匂いと感触が「生き物(本物)を育てる」

今年も上手くグリーンカーテンになるか?
これからどんな花が咲くのか?


現実に手を使い、土をいじり先々のことを考えると、育成の気分が高まっていきます。
※画家や小説家、デザイナー等、栽培が好きな人が多いのはこの辺りの理由かな?

まず一番初めの仕込み作業「プランター作り」
植物に大切な園芸土は、去年のものを再度天日干して、石灰少々。
土の具合を見て、軽石→赤球(中)→園芸土→化学肥料→園芸土の順に盛付け。

IMG_5680.jpg
如何に『根』が張りやすいか?
そこが園芸プランター作りの本質です


 
園芸土に関しては、去年足りない土に「庭土」を混ぜてしまい・・・
そこから大量発生した「アブラムシ」との闘いの記憶が。・゚・(ノД`)・゚・。
消毒(殺虫)⇔発生を繰り返し、結局6月頃に「園芸土・総入れ替え」の憂き目は高い代償(勉強)でした。
そんな反省も含め、今年はちゃんと園芸土を作って対策万全。
※横着するとしっぺ返しが来る・・・絵を描く事と同じです。

IMG_5683.jpg
良いプランターの条件は重量が「軽い」こと


グリーンカーテンの元、朝顔の種は去年採れ過ぎたものを一掴み(100粒ほど)使用。
※それでも去年採れた20%ほどの量です。
一昼夜、水につけた種が「ちょっこ」と白芽を出したら順次植え付け。
大体一つのプランターに深さ2cmの穴を10個ほど開け、そこに3~4粒の種を入れて水撒き。
あとは目が出るまで、毎日水やり。

そこから6月も半ば、このグリーンカーテン作りにおける「最大に嫌なこと」が来ます。
それが「発芽の間引き」
上記の「一つの穴に3~4粒」と言う事は、大体一箇所から芽が1~4個同時に生えてきます。

IMG_5730.jpg
一箇所からこんな感じで生えてきます
放っておきますと、4つの根が絡んで「共倒れ」
もしくは各自に栄養が行かず、生育が悪くなります

 
・・・ですので、、、一つの発芽を覗き、残りは間引かないといけなのですが(´ヘ`;)

「一つを生かす為に、残りを斬る」

この行為が・・・なんとも嫌なんですよね。
※間違いなく「酪農」はできないと自負しています。

それでも「泣いて馬謖を斬る」心持ちで、間引いいた発芽の芽。
間引かれた芽をそのまま「友愛」するのは・・・どうしても嫌なので・・・
間引いた子達の引越し先に、真新しい「プランター2個」増やしました(ノ´∀`*)
※こうして家中のベランダが朝顔に占拠され行きます。

そうして7月に誘引ネットを張り、剪定して作ったグリーンカーテン。

IMG_5854.jpg
今年もしっかりグリーンカーテンになりました(*´σー`)

その効果は、この灼熱地獄の日々に対して「効果絶大」
正直室内の温度計を見ても、30~32度と決して涼しい訳ではないのです。
ですが、風が入れば「気化熱(?)」で涼しく、とても過ごしやすい。
また「風に揺れる朝顔の葉」の奏でる音が、なんとも風情があって良い。
※この暑い日々も「扇風機」と首に巻いた「ぬれタオル」で制作できます。

IMG_5848.jpg
朝顔は「日の向く」方に咲きますので・・・

あとこの時期は「朝顔見たさ」で早朝5~6時には仕事(制作)始めています。
※夜のうちに蕾を見つけて、朝咲くのを楽しみにしています。

IMG_5864.jpg
たまに「こっち向く子」がいるとスケッチしています(´∀`*)
 
朝起きて、朝顔に水をやり、少々剪定してからコーヒーを入れて画面を眺める日々。
夏はこのサイクルで制作できるのも「グリーンカーテン」効果の一つです。
※朝の涼しいうちに描き始めないと、さすがに日中(12時~15時)は暑くて描く気が・・・

さてその様な日々なので、実際「猛暑日」って言っても、余り実感がなかったので・・・
試しに14時頃、自転車で走りに行きま・・・したが・・・直射日光で「死ねる(´Д`υ)」
もう息するのも、肺が熱い。(途中で引き返してきました)
※既に17時でも暑いんです。

ならば「日差しが無ければ」暑くないのか?
そう思い、お昼前に縁側で(埃になる)「絵具の削りだし」を・・・しましたが(゚A゚;)
軒下で画面の絵具を削っていると・・・ものの10秒で滴る汗。
それが10分も作業していると「滝のような汗」が吹き出てきます。
それでも一度始めたら最後まで…とシャカシャカ削って、作業終わらせた後(;´Д`)
吸った汗で脱げないほどのシャツ(´Д⊂ヽ・・・直ぐに「お風呂場GO!!」
※外で働いている「土木系」の方々には頭が下がる(想い)


まぁグリーンカーテンの効果はこんな感じですが、余り「エコ」だの「省エネ」だとか考えず『自分で育成する楽しさ』
真剣に土と触れ合い、思考し、工夫して『綺麗な花』を大切に育て『鑑賞して楽しむ』
忙しさについ忘れがちな、そんな自然との共感を残暑まで楽しめればと思います。
※今年もまた多くの朝顔の種が収穫出来そうです(;´∀`)


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夜にふと見上げた朝顔の違った側面
こう言った「美しい」瞬間を見つけるのも・・・
絵描きの「描く」仕事の一面だと思います


 

古き良き相棒・キーボードがご臨終して、新しい相棒に交換して…
ちょっと考える「私のPC事情」
キーボードも旧式のことながら、使っているPCは同時期に組んだ「自作PC」
日進月歩のPC事情の中、12年前から(基本)変わらぬPC環境なんです。

IMG_5699.jpg
インターフェイスはワイヤレス基本の「Logicool」が好みなので
 

12年前のPC(道具)を今まで使い続ける。

それが出来るのは「自分でメンテナンスする」
故障のたび「自分で」問題をみつけ「自分で修復する(バージョンアップも)」
その技能と知識が日進月歩のPC事情にあって、何度故障しても使い続けれる一番の理由。
※これが謙虚なのは自転車メンテでしょうか=私の場合。

しかし・・・それも最近ではイラストレーター&フォトショップの両方操作では少々ご機嫌斜め。
宥めすかしながら、ご機嫌見ながらの「現在の作業環境」を鑑みると(´ヘ`;)
今回は機能を一新する良い機会ではないか?…と

只、毎度少ない予算しかない井上藩の財政事情(ノД`)
「何に(何処に)」「どのような機能を」「どう配分するか?」
金銭の上限を考え、コンセプトの「省電力」「静音性」を念頭に「金額の配分」を考えるのは、貧困国の政策をシミュレーションするようで楽しい。
※信長の野望や三国志の戦力配分みたいです(*´∀`)

また交換作業の前、現状で「使える」パーツ(資材)を見てみると…
①HDD ②OS ③ドライブ ④電源 ⑤各PCIボード ⑥PCケース
…は使えます。(と思っていました(;゚Д゚))

逆に考えればCPU(頭脳)と基本的な土台の「マザーボード」
あとはグラフィックボード(グラボ)と、メモリ交換で十分な状況。

まぁ12年前からの刷新、どんな構成にしても性能が「良くなる」のは目に見えています。
※ただ…12年の歳月は浦島太郎を実感するに十分な時間でした(´Д⊂ヽ

オチから話すと「PCケースとSATA規格のHDD以外」すべて交換する羽目になりましたがね(;´Д`)


余り機能的なことを記載しても面白く無いので、一番驚いたことが2つ。

まず組み始めて知った、接続規格の「IDE(パラレルATA)」が現在のマザーボードには存在しないこと。

IMG_5805.jpg
※接続規格はSATAに統一されてしまいましたね。
 
よく調べず「昔なら」の考えで、当たり前にあると思ったものが無い。
時の流れに寂しさを思いながら…10年以上の歳月の流れを知りました。
※IDE→SATAに変換するアイテムもありますが、新たなSATAのHDDと安いドライブを購入(TдT)

あと電源ピン他の接続規格が変わっていること。
特に主電源の20ピンが安定的な24ピンになり、省電力のために電源も変えることにしました。
※20ピンでも使える場合もありますが(;´Д`)


さて組んでいて、上記のような浦島太郎の気分が味わえましたが、正直昔のように調整をしながら「どうしてこうなるのか?」
パーツの「相性」などを手探りで調べ、考え、当たりを組むって感覚が無いのが少し寂しい感じがします。
今の自作PCと言うのは、必要な材料を「組み立てる」だけで簡単に動くPCシステム。
そこにはプラモデルの「簡易キット」で組み立てるような感覚がして工作的に面白く無い。
※まぁ、それでも拘りは組み込んだつもりです。

IMG_5744.jpg
自作らしい点は、このようなアルミの部品を作りまして・・・

IMG_5748.jpg
PCのエアフロー(風の通り道)を作る
こう言った冷却工夫も加工で向上するのが自作PCの面白いところです


IMG_5808.jpg
穴はグラインダーで削り・・・
PCケースにもエアフローの部品を組み込む


IMG_5786.jpg
あと・・・どうしても耐えられない音源の問題。
音響機器はノートPCでは外付けになってしまう「サウンドカード」
どうしてもオンボードでは音が…ヽ(`Д´#)ノ
こう言った「適材適所」の拘り(いじれる)が自作の面白いところ
 

今回の組立てでも「自分が使っている道具」「どのようなもの」で構成されているか?
使う道具を「自分で直せる」のは「どのような部品で構成されているか」
その部品を覗き、触ったことで、理解が深まったのは良い学習の機会でした。
※HDDの裏側って年代事に違う造形を見るのも面白いものです。


さて最後に組み立てていて思い出した「自分の手を使い考える」
その鋭利な感覚が大切かを教えてくれた、某有名な車両のモデラーの方のご意見が脳裏を横切ります。

その方曰く「自分の手を使わないモデラー(造形師)は使えない」

幾らCNCや3Dソフトが使えても「自分が造るもの」
その実物を触ったことがない製作者は「形」になった時、必ず不備が発生するのだと。

またモデラー(造形師)の特性が良く見えるのが「昔のプラモデル」を組み立てさせること。
1970年代の方なら分かると思いますが、昔のプラモデルは今ほど制度が良くない。
組み立てても個体差で「ズレ」「はみ出し」があり、ただ組み上げるだけなら「ガタガタ」
そこに「もっと格好よく」と言う、飽くなき探求心こそ「自分で加工(工夫)する」
※これは海洋堂の発祥の記載でもありましたね。
ズレたパーツはヒーターなどで曲げたり…
透いた部分はパテで盛り、削り、磨く。

無い部品などは「プラ板」から自分で創り出す。
塗装とデカールのテクニックなどは、まさに実践あるのみ(トライ&エラー)

そうした工夫と知恵のある奴だけが、不器用でも「製作者」になれんだ( ´,_ゝ`)と。


まぁ自分の使う道具に「自分なりの」拘りを求める。

それは「吊るしのスーツ」で満足している方と「糸の一本」から指定して自分で縫い上げる方。
どちらが「もの作り」に相応しいあり方なのか?

「絵描き」ってのは、飽くなき「最高」を求める「拘り」にしか生きがいを見いだせない「向上心の求道者」

そんな絵描きが「その手」で組み上げた「新しい相棒」は、ホント自分らしい道具なんだと、自分のPCを見て改めて愛着がわきます。
※コイツもまた幾度となく手を入れることでしょう( ^∀^)





昔のPCはまだ使えるわけで・・・
PCケース以外交換ってことは・・・
PCケースだけあれば昔のPCも使えるわけですよね(;´∀`)

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

IMG_5766.jpg
PCケースがあればね(;´∀`)



 

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ETSUDO
職業:
日本画家
趣味:
自転車と作画制作
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