皆さんは下書きをする時に何を使いますか?
鉛筆?ペン?マーカー?それとも筆ですか?
私は色々と試して、現在は鉛筆が主です。
鉛筆の何が良いのかは各自色々とあると思いますが、やはり手軽さでしょうか?
私は色々な表情を出すことが簡単なことを挙げますが、それも人それぞれ。
実は長年鉛筆は嫌いな道具の一つでした。
鉛筆=予備校を連想させ「強制的に描かされている」嫌な思い出が滲み出ます。
だからなのか、20代前半までは鉛筆を使わない時期がありました。
それでも現在使っている鉛筆は「STABILO(スタビロ)8000」
鉛筆も色々(浮気して)使ってきましたが、一番手に合うのがスタビロでした。
コンテの様な柔らかさと、其れとは違う芯のある感じ。
これが私の感じた「スタビロ8000」の鉛筆の評価です。
個人的にはスタビロが他の鉛筆に比べて一番柔らかい感じがします(?)
逆に堅いと感じたのが緑の「ファーバーカステル」(ロゴが一番格好いい)
ファーバーとスタビロの中間が青の「ステッドラー」と感じました。
(予備校では一番御世話になりました)
あとスタビロの塗装が「赤」と言うのもお気に入りの理由の一つ。
赤い鉛筆を握ると「さてやるかな・・・」と言う気分になるのも不思議なものです。
しかし困ったことに「スタビロ8000」が廃盤になって、グラファイト8008が後継になっていてビックリ!!
(まぁ絵の具などが廃色になる等よくある話)
しかもグラファイト8008、塗装の赤も違う気が・・・使ってみた感じも何か面白くない。
こんな事なら8000番を「大人買い」しておけば良かった・・・
さて困ったもんです。
この少なくなった最後の鉛筆を使い切った後、何を時期主戦力に選定するか?
無難なのはステッドラーなんでしょうが・・・
(ステッドラーは本当に良く出来ている鉛筆なんですが・・・)
こればかりは色々試して見ないことには分かりませんが、人間関係と同じく「肌に合う」と言う存在に巡り会う事は希有なものです。
鉛筆削りは小学校1年から使ってるもの。
肌に合う道具は本当に大切使っています。
21日に来年展示の撮影を某大学で無事終了。
これが今年の仕事納めになるのではないかと。
(今は年賀状作成&大掃除です)
思えば、この「締め切り」あればこそ、限界を超えて制作出来るのではないだろうか?
限界でも作品が上がる度に「ふぅ~~~」となる、あの瞬間はある意味「快感」です。
(次に制作が支えていると、そうも言ってられませんが・・・)
小生に限って言えば、締め切りを逆算して「まぁ~今週はゆっくりしていても大丈夫」
とか甘ぃ~い考えで、いつも直前で「時間返せ!!!」と懺悔の繰り返し。
ただ人間の潜在能力とは恐ろしいもの。
例え寝なくともギリギリで「なんとかしてしまう」
決して褒められた事ではないが、作家として成長しているのでは・・・ないかと?
(よい子は真似しないように)
ただ常々もっと時間を上手く使えるようにしたいとは思っています。
まぁ小生、自分には甘々なんで・・・
常時「時間を管理してくれるマネージャー(メイドさんでも可)募集!」なんでよね。
小話的には「サルバドール・ダリ」の制作秘話。
制作に対してサボりがちなダリに対し、奥方は外出不可の鍵付きのアトリエを造ったとか。
(ダリはよく抜け出してはカジノに耽っていたとか)
ダリが作品を上げるまで食事は小窓から入れ、アトリエから一切の外出させなかったと言う逸話があります。
まぁ此処までされると困りものですが、やはり健康的に朝から夕刻まで制作。
夜はしっかり睡眠を取る事が大変望ましい事は重々・・・承知しているんですが・・・
健康でいる今だから多少の無理も出来ますが、今後年齢と共に考えねばならない時も来るのでしょうか?
ホント締め切り一週間まえ前とかに、コーヒー片手にマッタリ過ごす。
そんな快感も味わってみたいものです。
実家の手伝いで静岡から帰ってきてから、早4日・・・
いやマジで時の流れの速さに驚いています。
ホント忙しい時間の流れは、明らかにおかしい
そんな中、ある機関に提出する書類を作っていました。
三年前からの作品を資料として纏めてましたが、プリントアウトされた資料を並べていると
「まぁ良くも自転車ばっか描いているなぁ」と。
そして三年間に徐々に作風が姿を変えている事に、ふと人の歴史を感じました。
並べた資料を眺めていると、心にゆとりのある時は大らかな絵を。
逆に鬱っぽくなった時の絵は、色彩や捉え方が何処か陰険です。
何時までも今の生活が出来るとは思いませんが、あの鬱には戻りたくない。
作家として環境に左右される事は甘えと分かりつつも、自身の心には嘘をつけない。
なんて不器用な生き方を選んでしまったのか。
まぁ制作中の絵を前に感傷的になっても「作家人生」引き戻る気は更々ないんですけどね。
・・
・・・
・・・・でも何処か旅に出たい、そんな33の残暑。
暫し実家に帰ってました。
(18切符でのんびり電車・・・)
家の猫共は相変わらず小生を他人扱い
まぁ一緒に居なければ忘れられますね。
さて今回帰郷したのは、色々と私事で動いて頂いている方に挨拶周りのため。
お会いした「お偉いさん」は、本来小生みたいな若造が会いたいからと言って
「はい、会いましょう!」
とは行かない方々で、地元での両親の信用の上に、初めてこんな若造の意見にも耳を傾けてくれる訳です。
その様な中、お力になって頂いている関係各所に顔見せができ、人の「縁」はこうして出来ていくのだなぁ~と実感。
その間に実家に置いてある「作品」や「資料」の整理をボチボチ進める。
まぁ小生の荷物もいずれは今の家に移さなくてはならない訳で。
まずは「絵画」は基本良い物(この場合は資料価値の有る物)は保管。
逆に思い入れの少ないもの、資料的に価値のないと判断したものは「焼却」
この判断は作家本人しか出来ないので、準じ進めて行く。
帰郷中に「燃やすくらいなら欲しい」と言う方もいましたが、作った本人が断腸の思いで「必要なし」と破棄した物を飾ってほしくはない訳です。
此処は責任を持って荼毘に伏すほうが良いと小生は考えます。
(後で勿体ないと思うのも一興)
しかし枚数が半端ない数・・・
昔2回ほど焼却しましたが、それでもデッサンは有に100枚は越えているし・・・
そして帰郷中は毎日豪雨・・・
絵画の神様が処分を嫌がっているのか?
そんな思いにも駈られました。
結局雨続きで、挨拶回りと仕分け清掃だけで一週間が過ぎてしまいました。
まぁ、また8月に帰るので荼毘に伏すのはその時にでも。
しかし過去の作品を眺めるのは面白い物です。
小生は此処まで、かなり紆余曲折して作品を作ってきました。
その時々によって試行錯誤が見られ、稚拙ながらも今に繋がる工程が見られる訳です。
(小学生の時の作品にも片鱗があって驚き)
マーブリングにこだわっていた時の作品。(失敗作)
下手すぎて笑ってしまった・・・
五月蠅い蝉の鳴き声を横目に作品を見ながら、人の人生もまた積み重なって行くんだなぁ~と実感できた帰郷でした。